「あ……」
 山の中を歩いていると、ふと彼女が立ち止まった。
 どうやら髪の毛が木の枝に引っかかってしまったようだ。
「すみません。すぐに取ります」
「焦らなくていいよ」
 慌てた様子の彼女に、そう声をかけて待つ。
 けれど、髪の毛はしっかりと木の枝に絡まっていて、なかなか取れない。
「あの、小刀か何かを持っていませんか?」
「……手、離して」
 綺麗な髪なのに、切ってしまうのはもったいない。
 彼女の隣に立ち、ゆっくりと丁寧に解いていく。
「取れたよ」
「……ありがとうございます」
 微笑む彼女に微笑み返そうとして、ふと思う。
 ……これからは、こんな風に彼女に困ったことがあっても、俺は助けてあげられない。
「一つ……お願いをしてもいいかな?」
 解いた髪に視線を落として言う。
「もしも辛いことがあったときは、二人で過ごしたこの日々を思い出してほしいんだ」
 君が泣いても、俺はもう背を撫でて慰めてあげることはできない。
 けれど、君が辛いとき傍にいてあげられなくても、ほんの少しだけでも、君の事を支えてあげられればと思うんだ。
「……はい」
 頷く彼女を見て、今度こそ自分も微笑むことができた。
 もうすぐ灯巌門に着き、儀式が始まる。
 思い残すことはないなんて、そんなことは言えない。
 だけど、俺が残した思いはきっと君が持っていてくれるから。
 だから大丈夫だと、そう思える。
 彼女の髪にそっと口付けると、眩しいくらいの笑顔を向けてくれる。
 ……この先の君の人生が、光に満ちていますように。
 どうか幸せでありますように。
 心から、そう願った。