十八、十九……二十。
渡された勾玉を数え終えると、巾着の中へ戻す。
「確かに受け取った。知影、後で颯に渡しておけ」
隣に座っていた知影に勾玉の入った巾着を手渡し、鎮宮に視線を戻す。
今日は祈女の力が込められた勾玉を受け取る日だった。
妖魔を倒すには、鎮宮家の祈女であるこいつの力が必要不可欠で、これがなければ鬼は妖魔を倒すことができない。
「……相良が迎えに来るのは明日の朝だったか」
鎮宮の隣へ目をやり、尋ねる。
鎮宮の従者の相良は、いつもならば鎮宮の横に張り付いているが、今日は長老に頼まれた用があるとかで忙しなく人の村へ帰っていっていた。
「はい。それまでお世話になります」
鎮宮は畳の上に手をついて、丁寧に頭を下げる。
それを横目に見つつ、小さく咳払いした。
「……あー、せっかく泊まるなら、夜は宴会でも開くか? それとも村を案内してやろうか。何か希望があんなら遠慮なく言ってみろ」
相良がいれば、余計な世話だとこいつが答える前に突っぱねようとしただろうが、幸い明日まではいない。
「それでは……よろしければ、湖巌門を見せていただけませんか?」
「……は? 何でんなとこに……」
「灯巌門を守る祈女として、対になる門である湖巌門を目にしておきたいのです」
鎮宮は至極真剣な顔で話している。
どうやら、本気で湖巌門へ行きたいと思っているようだ。
「気持ちは分からなくもねえが……真面目過ぎんだろ。他にしろ」
湖巌門のある内輪山には妖魔が多く出没する。それを思うと、あまり鎮宮を近付けたくはなかった。
万が一、こいつに何かあったら、俺は……
「いいでしょ、彼女は湖巌門へ行きたいんだから。……それとも、魁が嫌なら俺が連れていってあげようか」
突然、それまで黙って聞いていた知影が話に割って入ってきた。
「……は? 二人で行く気か?」
「そのつもりだけど、何か不都合?」
「……別に、そういう訳じゃねえが……」
やたらと笑顔な知影から顔を逸らし、鎮宮の方を向く。
「……おい、お前。こいつと湖巌門に行きたいのか?」
尋ねると、鎮宮は躊躇う様子を見せながらも頷いた。
「その……できれば、湖巌門へは一度行ってみたいと……」
「…………ああそうかよ。それなら勝手にしろ」
何故だか無性に腹が立ち、立ち上がると広間の外へ出た。
くそ……鎮宮のやつ、人の好意を無碍にしやがって。
知影も知影だ。従者のくせに主を放って人間の女なんかと……。
そう考えかけて、ふと足を止めた。
……いや、あいつは確かに人間だが……他の人間とは、少し違う。
人間なんて、皆、身勝手で不義理な奴ばかりだと思ってたのに……あいつは、いつも人のことばかり気にして、役目を果たす為なら危険も厭わねえ。
「…………」
湖巌門くらい、連れて行ってやればよかったかもな。
あいつが役目のこと以外で何か頼んでくるなんて、滅多にねえし。別に、妖魔の一体や二体、俺一人でも倒せたわけだし……。
「あの、魂宮様……!」
不意に背後からかかった声に振り返ると、鎮宮がこちらに駆け寄ってきた。
「あ? お前、知影と湖巌門に行ったんじゃなかったのかよ」
「いえ、柊様は急用ができたので、やはり魂宮様に頼んでくれと……」
……なんだよそれ。用ができたからって、自分が引き受けたもん俺に投げるなよ。
確かに連れて行ってやればよかったと後悔はしていたが、ここで「それなら俺と行くか」なんて言うのはどうにも癪だ。
「……申し訳ありません。魂宮様は湖巌門へ行くのはお嫌なのでしたよね。今のは忘れてください」
黙り込んでいると、怒っていると勘違いしたのか、鎮宮が頭を下げて踵を返そうとする。
「——待て」
慌てて腕を掴んでそれを止めた。
「別に、嫌だとは言ってねえだろ」
「え……」
驚いたように目を見開かれ、顔が熱くなる。
「それで、行くのか行かねえのかどっちなんだ。はっきりしろ」
腕を離し、早口で捲し立てるように言うと、鎮宮の顔に笑顔が浮かんだ。
「ありがとうございます。ぜひ、行きたいです」
「……それならさっさと行くぞ」
歩き出すと、鎮宮もそれに続く。
すぐ後ろから聞こえてくる足音が、何とも言えず心地よかった。
内輪山の山頂——湖巌門の前に着いたのは、昼八つを少し過ぎた頃だった。
眩しく照りつける夏の日差しの下、涼やかな風が吹き抜ける。
「これが……湖巌門」
湖の中央にある岩場に建つ湖巌門を見つめ、呟くように鎮宮が言う。
「湖巌門の名前の由来は、この湖と岩ですか?」
「ああ」
話しながら、二人で湖巌門の傍へと歩いていく。
そのとき、ふと背筋を走った悪寒に、素早く振り返った。
「……っ! おい、妖魔だ!」
咄嗟に、鎮宮に覆い被さるようにして、襲いかかってきた妖魔の攻撃を避ける。
「伏せてろ」
言いながら大太刀を引き抜くと、再び襲いかかってきた妖魔を斬り捨てた。
ふと耳に聞こえたひぐらしの鳴き声に、刀を手入れしていた手を止める。
座っていた縁側から空を見上げると、西の空が薄っすらと赤く染まっていた。
……そろそろ出るか。
妖魔討伐隊は、夕暮れより少し前に村を出て、内輪山で妖魔の討伐を行う。
今日も例外ではなく、いつも通り屋敷を出るべく腰を上げた。
「颯」
廊下を歩いていると、背後から声が掛かった。振り返った先には、柊殿の姿がある。
「ちょうど良かった。ちょっといいかな」
「何でしょうか」
「颯に頼みたいことがあってね」
言いながら、柊殿はゆっくりとこちらに歩み寄る。
「急で悪いんだけど、明日の朝まで祈女様の護衛を頼んでもいいかな」
「……鎮宮殿の護衛、ですか」
「うん。今日は相良くんがすぐに人の村に帰ってしまっていないから。他に誰か付いていてあげる人が必要でしょ?」
相良殿は確か、長老に頼まれた用があるとかで人の村へ帰っているのだったか。
今朝方耳にした話を思い出しつつ、目を伏せる。
「申し訳ありませんが、俺はこれから内輪山へ見廻りに行かなければならないので……」
「それなら彼女も連れていけばいいんじゃないかな。そうしたら、討伐隊の皆も彼女の儀式で妖魔を倒す力を与えてもらえるし」
「それは……」
柊殿の言い分は分かる。
だが、私情だと分かっていても、今はできることならば、彼女と顔を合わせたくなかった。
言葉を詰まらせていると、どこか仕方がなさそうに笑って、柊殿が首を傾げる。
「彼女の護衛は、魁の命でもあるんだけど、それでも駄目かな」
「……いいえ、魁様の命でしたら断る理由はありません。引き受けさせていただきます」
「そう。それじゃあ頼んだよ、颯」
軽く肩を叩いて柊殿が立ち去る。遠ざかっていく足音を聞きながら、深く、溜息を吐いた。
……彼女に会うのは、あの日以来か。
数日前の記憶が頭を過ぎりそうになり、束の間、目を閉じてそれを頭の隅に押しやる。
それから踵を返して彼女の部屋に向かった。
「鎮宮殿……いるか」
彼女の部屋の前に立ち、声をかけると、一瞬間を置いて「はい」と答える声がした。
続いてこちらに歩いてくる控えめな足音がして、障子が開く。
目が合うと、彼女は少し気まずそうに視線を逸らしたが、すぐに笑みを取り繕うとこちらを見上げてきた。
「その……何かご用でしたか?」
「……魁様の命で、明日まで貴女を護衛することになった」
「そうなのですね。ありがとうございます」
命令で動いているだけなのだから、礼は必要ないと何度も言ったにも関わらず、彼女はいまだにこうして礼を言う。
それを心地良いと思うようになったのは……一体いつからだっただろう。
「……俺はこれから、妖魔討伐に内輪山へ向かわなければならない。貴女にも付いてきてもらう」
「分かりました。それでは、すぐに支度致します」
わざと素っ気なく言うが、彼女は気にした様子もなく、部屋の中へと戻る。
廊下の柱に背を預けて彼女を待ちながら、またしても深い溜息が零れた。
「颯さーん!」
屋敷の門前に出ると、既に待機していた討伐隊の中から、明るい声と共に啓太が飛び出してきた。
「あれ、今日は鎮宮様も一緒なんすか?」
「はい。颯様に護衛をしていただいているので」
啓太に頷き、鎮宮殿が深く頭を下げる。
「足手纏いにならないよう気を付けますので、よろしくお願いします」
「足手纏いなんて、そんなことないっす! 鎮宮様の儀式の力があれば百人力っすよ!」
「……ありがとうございます」
緊張していた彼女の顔が、啓太の言葉にほっとしたように綻んだ。
「……行くぞ」
何となく、その笑顔を見ていたくなくて、背を向けて歩き出した。
「よーし、鎮宮様の力もあることだし、今日こそ一人で妖魔を倒してみせるっす!」
内輪山に入ると、がぜんやる気になった様子で啓太が腕捲りする。
すると、それを見ていた他の隊士が茶化すように声を上げた。
「やめとけ、やめとけ! どうせ妖魔に殺されかけて隊長に助けられるのがオチだ」
「なっ!? そんなの分かんないじゃないっすか!」
「いいや、分かるね。千両かけたっていい!」
「う、うるさいっす! そんな大金持ってないくせに!」
啓太がむきになればなるほど、隊士たちは面白がって啓太をからかう。
それを見ながら、彼女も楽しそうに笑っていた。
「…………」
警護をするなら、彼女の傍は離れるべきではない。
それは重々分かっていたが、こういった賑やかな場は苦手で、つい逃げるように隊の前方へと移動する。
——妖魔の気配を察したのは、彼女から随分離れてしまった後のことだった。
「結鶴様、遠路はるばるお越しいただいてありがとうございます」
「どういたしまして」
村の出入り口で迎えてくれた彼女に、笑顔で答える。
外輪山で妖魔が目撃され、鬼の村から祈女の護衛を送ることが決まったのは、昨夜のことだ。
人の村に行きたがる鬼なんているわけもなく、僕が祈女の護衛役に志願すると、すぐに彼女の護衛として人の村に行くことが決まった。
「それにしても、いつからここで待ってたの?」
護衛を送る話は昨夜のうちに伝令が人の村に伝えていたけど、確か『明日の朝』としか伝えていなかったはずだ。
「それは……」
「半刻前からですよ。私は鬼などわざわざ出迎えなくともいいと申したのですが」
彼女が答えるより先に、半歩後ろに控えていた泰臣が答える。こちらを見るその目は冷ややかだ。
「でも、なんだかんだそんなに長い間、僕のために待っててくれたんだね。泰臣がそんなに楽しみにしてくれてたなんて、人の村に来たかいがあったなあ」
「私が結鶴殿を待っていたのは、貴方のためではなく、この方のためです」
無視してればいいのに、こうやっていちいち反論するから余計にからかわれるんだって、分かんないのかなあ。
笑いを噛み殺しながら、彼女の耳元に顔を寄せる。
「ねえ、聞いてた? 泰臣、君に嫌々付き合わされてたんだって」
「な……っ」
泰臣の顔にたちまち動揺の色が浮かぶ。
「違います! 私は嫌々付き合わされたわけでは……」
「じゃあやっぱり楽しみに待っててくれたんだね。嬉しいなあ」
そう言うと、泰臣はしかめっ面のまま黙りこんでしまった。
「ぷ……っ、あはは!」
「結鶴様……」
困り顔で彼女が窘めるように名前を呼ぶ。
そのとき、大きな籠を抱えた、十歳くらいの女の子がこちらに駆け寄ってきた。
「祈女様!」
「どうしましたか?」
彼女は女の子と目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「家でたくさんなすがとれたから、おすそわけ」
女の子が差し出した籠の中には、大量のなすが入っていた。
「とっても美味しそうですね。いつもありがとうございます」
「えへへ。どういたしまして」
女の子はくすぐったそうに笑うと、大きく手を振りながら来た道を帰っていく。
「お持ちします」
「ありがとうございます」
泰臣に籠を渡し、彼女は笑顔で女の子に手を振り返す。
……可愛がってる子なのかな。
「それでは、行きましょうか」
姿が見えなくなるまで女の子を見送って、彼女が振り返った。
「……そうだね」
——妖魔が人の村に現れたのは、その日の夕暮れ時のことだった。
彼女は僕と一緒に村へ行って儀式をすると言ったが、それを断り、一人で鎮宮の屋敷を出た。
村に着くと、どこからか妖魔の低い唸り声が聞こえてくる。それを聞いた瞬間、堪えきれず笑みが零れた。
ああ、本当に人の村に来てよかった。
たいして走ったわけでもないのに、身体は燃えるように熱い。
腰から鎖鎌を引き抜くと同時に、背後に妖魔の気配を感じた。振り向きざま、鎖鎌を振るう。
「う、ああ゛あああ!」
妖魔が痛みを感じるものなのか知らないけど、よろめいて唸り声をあげる姿を見るのは、すごく気分がいい。
妖魔が喋れたらよかったのにな。
痛い、苦しいって悶え苦しんで、泣いて命乞いする姿が見られたら、どんなに楽しかっただろう。
「……まあどっちにしろ、消すことには変わりないんだけどね」
懲りずに襲いかかってくる妖魔を鼻先で笑って、鎖鎌で首を落とす。途端に、妖魔は霧となって消えた。
「あっけないなあ……」
これくらいじゃ、僕は全然満たされないのに。
胸の奥底に根付いた憎悪は、この程度でなくなったりなんかしない。
……もっと、消してやらないと。
鎖鎌を握り締めたまま、僕は村のどこかにいるはずの妖魔を探し始めた。
妖魔を全て倒し終え、屋敷への道を辿っていると、通りに人だかりができていた。
どうやら、誰かが妖魔に殺されたらしい。
人だかりの横を歩きながら何となく目をやると、亡くなったのは、今朝彼女になすをおすそわけしていた女の子で、母親らしき女の人が声をあげて泣いていた。
……彼女が見たら、きっと悲しむんだろうな。
ぼんやりとそんなことを考えていると、ふと女の子の母親と目が合った。
母親は、僕が鬼だと気付くときつく睨みつけてくる。
「あんたのせいよ! あんたが早く妖魔を倒さないから、この子は……!」
泣きながら僕をなじる声を、無感情に聞く。
腹も立たないし、かと言って申し訳なくなるわけでもない。どこまでもいっても、僕にとっては他人事でしかなかった。
「あんたが、早く倒していれば……っ!」
母親の声に背を向け、再びゆっくりと屋敷へと歩き出した。
夜もすっかり更けた頃、いつもなら静かなはずの鎮宮家の広間には、たくさんの人が集まり、宴に興じていた。
「楽しんでいらっしゃいますか?」
「はい」
傍らに腰を下ろして問うと、彼女は微笑んで頷いた。
今夜は祈女の後継候補を、村の有力者の方々にお披露目する宴の日だった。
本家の女子はこの方一人しかおらず、皆、誰が祈女候補として紹介されるかは知っていたはずだが、それでもこんなにもたくさんの人が集まった。それはひとえに、この方の人望あってこそのことだろう。
居住まいを正すと、深く頭を下げた。
「……改めまして、今日という日を迎えられたこと、お祝い申し上げます」
ゆっくりと顔を上げ、誇らしい気持ちで目の前に座る彼女の顔を見つめる。
「ありがとうございます。私がここまでこられたのは、泰臣が傍で支えていてくれたお陰です。本当に、感謝しています」
「そんな、改まってお礼など……。私が貴女をお支えするのは、従者として当然のことです」
そう答えながらも、込み上げてくる感情に胸が熱くなった。
感謝されたくて、してきたわけではない。
けれど、こうしてお礼を言われると、今までやってきたことが、全て報われたような気がした。
「これからも、誠心誠意お仕えさせていただきます」
自然と心に浮かんだ言葉を口にすると、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
「それでは、私はここで。……あ、お飲み物が空ですね。後で使用人にお茶を持って行かせますので……」
そう言いながら、立ち上がろうとしたそのとき、ふらついた足音とともに、鎮宮家の分家のご子息が近付いてきた。
「おい、酒が足りねえぞ! もっと持ってこさせろ」
「申し訳ありません、すぐにご用意いたします」
すぐさま指示を出そうと、近くに使用人がいないか見渡す。
すると、その間に分家のご子息は彼女の隣に座り込んだ。身じろいだだけで触れそうなその距離に、つい眉根を寄せる。
「あの……失礼ながら、貴方のお席はあちらではないかと」
「あー? 俺は次代の祈女様をなあ、直接お祝いして差し上げようと思ったんだよ」
「……お気持ちは分かりましたが、それは酔いが醒めてからにしていただけないでしょうか?」
「俺は別に、酔ってなんか……」
「酒は後ほど席まで持って行かせますので、どうぞお戻りください」
「……分かったよ」
少し語気を強めると、分家のご子息は渋々といった風ではあったが、元の席へと戻っていった。
「ありがとうございます」
「夜も更けてまいりましたし、貴女は部屋へお戻りになった方がいいかもしれませんね」
私の言葉に、彼女は少し考えてから頷いた。
「そうですね……そろそろ部屋へ戻ります」
「でしたら、部屋までお送りします」
「いえ、その前におばあ様に挨拶をしなければいけませんから。気にせず泰臣は仕事に戻ってください」
今夜は忙しいのでしょう、と首を傾げられ、目を伏せる。
この宴の差配は私に任せられているため、彼女の言うとおり、今夜はまだ食事もとれていないほど忙しかった。
「……分かりました。ですが、皆様随分酔っておられるようですから、部屋に戻られるまではくれぐれもお気を付けください」
「はい。泰臣も無理はしないで、休めるときには休んでくださいね」
「お気遣いありがとうございます。それでは、失礼いたします」
頭を下げて、立ち上がる。
それから、炊事場の様子でも見に行こうかと考えながら広間を歩いていると、村人の一人に声をかけられた。傍へ寄ると、座るよう促される。
「何でしょうか?」
「働いてばっかいねえでお前も飲め。ほら」
「いえ、私は……」
断ろうとするが、無理やり杯を持たされ、なみなみと酒を注がれた。
「従者ってのは大変だな。こんな宴の日にも働きづめで」
「私は特に、苦に思ったことはありませんが……」
「……お前なあ。そんな風に役目一筋だから、女が寄り付かねえんだぞ」
村人は呆れたようにため息を吐く。
「いいのです。興味がありませんし」
「興味がねえっつったって、お前もいつかは嫁をとんなきゃなんねえだろ」
「……はい」
分かっている。
代々鎮宮家に仕えているこの相良家の跡取りは、私しかいない。血筋を絶やさぬ為にも、いずれは妻を娶らなければならないだろう。
そんなことは……今さら言われなくとも、重々分かっている。
「ただ……妻を娶ってしまえば、あの方のことだけでなく、家のことについても考えなければならなくなりますから。あの方が祈女となり、しかるべき人を婿に迎えられるまでは、私も独り身のまま、あの方をお支えすることに専念しようと考えています」
話しながら、僅かに胸が痛むのを感じたが、それを押し込め杯を上げた。
「……折角注いでいただきましたので、この一杯だけは頂いていきます」
一気に飲み干すと、一瞬目の前が揺れたが、軽く頭を振って立ち上がった。
「ご馳走様でした。それでは」
……ちょっとからかいすぎたかな。
落ち込んだ様子で俯いている彼女を見て、苦笑を漏らす。
今日は妖魔を倒すのに必要な勾玉を、人の村から祈女が届けにきていた。
しかし、珍しく彼女の従者である相良くんがいなかったものだから、魁が彼女を誘おうとしていたのだけれど、魁があんまり不器用だから、つい口を挟んでしまったのだ。
そんなわけで魁は拗ねてしまって広間を出ていき、今この広間には俺と彼女の二人きりだ。
もう一度、彼女の様子を伺ってから庭の方へ目を向けると、「あ」と思い出したように呟いた。
「……しまった。そういえば、今日はこれから絶対に外せない用があるんだった」
「え……」
「ごめん、やっぱり湖巌門の案内は魁に頼んでくれるかな」
申し訳なさそうな顔をつくって問うと、彼女は黙ったまま迷うように視線を落とした。
「大丈夫だよ。魁は絶対断ったりしないから」
「そうでしょうか……」
自信無さそうに言う彼女に笑みで返す。
彼女はしばらく考えた後、覚悟を決めたように頷いた。
「……頼みにいってみます」
「うん、いってらっしゃい」
軽く頭を下げて広間を出ていく。その後ろ姿を見送りながら、小さくため息を吐いた。
さて……これから何をしようかな。
その日の夕刻、屋敷で書物を読んでいると、部屋に使用人が飛び込んできた。
「柊様、いらっしゃいますか!」
「どうしたの?」
「実は、怪我をした人間二人が、こちらに滞在している祈女に助けを求めにきたとかで、騒ぎになっていまして……」
「そうか……魁は?」
「先に祈女とともにその人間の元へ向かわれました」
使用人のその言葉に、嫌な予感が胸をよぎる。
「……分かった。俺も行くよ」
立ち上がると、手当てに必要そうなものを集め、すぐに屋敷を出る。
使用人の案内で人間のところへ行くと、鬼たちが大勢集まっていて、ちょっとした騒ぎになっているようだった。
「……知影」
こちらに気付いた魁が振り返る。その正面にいた彼女もこちらを見るが、二人とも表情が硬い。
「……怪我をした人間が来てるって聞いたから、手当てをしてあげようと思ったんだけど」
「ああ。胸糞悪いが、手当てまでさせない気はない。やってやれ」
「分かった」
魁に頷いて、人間たちに近寄る。
「ひ……っ」
「取って食ったりしないから、そんなに怖がらなくていいよ」
途端に身を仰け反らせて悲鳴を上げた彼らに、思わず苦笑する。
すると、俺の隣に彼女が慌てて膝をついた。
「すみません、柊様。私も手伝います」
「ああ、それじゃあまず……」
彼女に指示を出そうとしたそこで、魁がこちらに背を向けた。
「魂宮様……」
「……俺は先に屋敷へ戻ってる」
背を向けたままそう言うと、魁は屋敷の方へと歩いていく。
彼女はどこか苦しそうに、遠ざかっていく魁の背中を見つめていた。
「……行っておいで」
「ですが……」
「彼らのことなら、俺が責任持って見てるから。心配しないで」
彼女は一瞬迷うように視線を彷徨わせたが、後押しするように微笑んでみせると、立ち上がって深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
魁を追う彼女の背を見送り、俺は怪我をした人間の方を振り返った。
「さて、怪我をした腕を見せてくれるかな」
「お……鬼の手当てなど、誰が受けるか!」
一人が意を決したようにそう言うと、さっきまで怯えていたもう一人も、急に勢いづいて声を上げる。
「そうだ! 我々は祈女様に助けを求めたのだ! お前の手当てなど信用ならん!」
「こいつら……柊様に何て口を!」
「まあまあ、いいから」
声を荒げた使用人を宥めつつ、笑みを浮かべて人間たちを見遣る。
「鬼である俺が信用ならないのは分かるけど、汚れた傷をそのままにしていたら危ないよ。そっちの君も、かなり血を流してるみたいだし、血を止めないと死んじゃうかもしれないよ。それでもいいの?」
半ば脅しのようになってしまったが、人間たちにはきいたらしい。
「……くそっ」
悪態をつきながらも、怪我をした腕を差し出してくる。
その様子にまた苦笑して、怪我の手当てをはじめた。
手当てもあと少しで終わる、といった頃になって彼女が戻ってきた。
「任せてしまって申し訳ありませんでした。私にも、何かお手伝いさせてください」
そう言って微笑んでみせるが、無理をしているのは一目瞭然だった。
けれど、それには気付いていないふりをして、手にしていたさらしを彼女に渡す。
「それじゃあ、彼の腕にさらしを巻いてあげてくれるかな」
「はい」