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物語

もう七年も前の話なのに、いまだにあの日のことを夢に見ることがある。
それは自分の心の弱さを表しているようで、そのたびに、そんな自分に嫌気が差した。
「兄ちゃん、おきてる?」
ある日の晩、部屋で勉強をしていると、弟の葵が障子を開けて顔を覗かせた。
「何だ?」
「こわいゆめみた」
よく見ると、腕に枕を抱えている。
「もう二年生だろ。それくらいで一人で寝られなくなってどうすんだよ」
「……ごめんなさい」
謝りつつも、葵は部屋に戻ろうとする気配はない。
「……寝るまで部屋に居てやるから、自分の部屋で寝ろ」
ため息を吐いて立ち上がる。
「うん」
葵はほっとした様子で頷いた。二人で部屋を出ると、葵の部屋に入る。
「……荷物、増えたな」
部屋の中を見渡して、思わず呟いた。この屋敷へ来たばかりの頃は必要最低限のものしかなかったが、今は時間割が壁に貼ってあったり、おもちゃが並んでいたり、生活感のある部屋になっている。
「兄ちゃん……?」
三年も住んでいるのだから、当たり前といえば当たり前か。
「何でもない。ほら、さっさと横になれ」
葵を促して、布団に寝かせる。電気を消して枕元に座ると、月明かりを頼りに持ってきた単語帳を捲った。
明日は中間テストがあって、さっきまではその勉強をしていた。けれど、まだ明日の朝飯の下準備をしていないし、葵が寝るまで待った後それを終えたら、もう寝ないとまずい時間になっているだろう。少し目は疲れるが、今のうちに勉強するしかない。
「兄ちゃん、それべんきょう?」
「ああ」
「……おれ、じゃました?」
単語帳を捲っていた手を止める。葵を見ると、不安そうに俺を見上げていた。
「邪魔なんて思ってねえよ。馬鹿なこと考えてないで寝ろ」
「……うん」
少し乱暴に頭を撫でてやると、ほっとした様子で笑って、それから目を閉じる。
がきのくせに、気遣いやがって。一瞬そう考えて……違うと思った。
こうして他人の家で預かってもらって、少しも気を遣うなという方が無理な話なのかもしれない。こいつは、気を遣わざるを得ない状況に置かれているだけなんだ。
微かに寝息をたてる、あどけない寝顔を見ていると、もどかしい気持ちになる。
こいつはまだまだ子どもで、本当は親にだって甘えたい年頃で。だけど、俺がいくら努力したところで、本当に親の代わりになれるわけはない。
もどかしくて……やりきれない。
どこにいんだよ……」
幼い頃に見たきりの、もうおぼろげな顔を思い出して、思わず小さく呟いた。
「なあ宋太、進路希望調査の紙ってもう出した?」
学校の昼休憩、一緒に昼ごはんを食べていた男子の一人が、ふと思い出したように聞いてきた。
「……ううん。まだだよ」
「そっかー、よかった宋太もまだで!」
俺が答えると、心底安堵した様子で胸を撫で下ろす。
「馬鹿。お前、宋太と自分が同じだと思うなよな」
「宋太は頭いいから進路選び放題だけど、お前は死ぬ気で勉強しなきゃどこにも受かんねえよ」
「う、うるせえな! それはお前らも一緒だろ!」
いつものように言い合いを始めたみんなを、苦笑しつつ眺める。
高校二年生になって、最近は進路の話をすることが増えてきた。みんなは将来のことで思い悩んで、模擬試験の結果に一喜一憂したりしていて……けれどそんな中、自分だけはどこか冷めた気持ちでいた。
高校を卒業したら、きっと大学に進んで、大学を卒業したら、今度は社会人になって。そんな未来は容易に想像がついた。
自分の将来に、不安はない。けれど、その代わりそこには少しの期待もなかった。
みんながタイムカプセルの中にきらきらと輝く夢を詰めている中、自分一人だけ空っぽのタイムカプセルを埋めているような、そんな虚しさが胸にあった。
「あれ、宋太のスマホ鳴ってねえ?」
「あ、本当だ」
スマートフォンの画面を見ると、伯父からの電話だった。
「……ごめん。ちょっと外すね」
「おー、早く戻ってこいよ」
みんなに手を振って足早に教室を出ると、人気のない廊下まで歩いていき、電話に出た。
「……もしもし」
「宋太か? 悪い、今学校だよな。時間大丈夫か?」
「大丈夫だよ。休憩時間だから」
「そうか……。なら少しだけ、母さんと話してやってくれないか?」
「……うん」
俺が答えると、スマートフォン越しに伯父さんが母さんを呼ぶ声が聞こえてくる。
「——もしもし?」
しばらくして聞こえた、高くか細い声に、小さく深呼吸してから口を開いた。
「もしもし、母さん。どうしたの?」
「理由なんてないわ。ただあなたの声が聞きたくなっただけよ」
「……そっか」
相槌を打ちながら、制服の襟元をぎゅっと握り締めた。
……母さんの声を聞いていると、自分の中の何かが擦り切れていくようで、息が詰まりそうになる。
けれど皮肉にも、このときだけが唯一、自分が確かに自分であると感じられるときでもあった。
「週末は帰って来るのよね? 楽しみだわ」
母さんの言葉に、微笑んで目を閉じる。
「うん……。『俺』も、楽しみだよ」
夕暮れ時、いつものようによろず妖屋の依頼を終えて屋敷へ帰っていると、道の脇を流れる小川から水が跳ねるような音が聞こえてきた。
何かと目を向けてみると、小さな白い狐のような生き物が川で溺れていた。
「……妖か」
そう判断すると、止めていた足を踏み出す。溺れている妖に向かってではなく、屋敷のある方に向かって。
よろず妖屋の仕事で、依頼を解決するために必要であれば妖を助けることはあるが、それは別に善意でやっているわけではない。無闇に首を突っ込んでも面倒ごとに巻き込まれるだけだ。
本来妖は人には見えないもので、関わることのないものなのだから、放っておけばいい。
「だれかっ! たすけてっ!」
「…………」
「たすけてーー!」
「………………」
歩く速度と溺れる妖の流れる速度が同じくらいなせいで、常に脇から悲鳴が聞こえてくる。
「だれかー!」
「……分かったから、静かにしろ」
これは妖を助けるためではなく、うるさい悲鳴を止めるためにやることだ。
ため息を吐いて、俺は妖を川から引っ張り上げるべく土手を下りた。
「たすけてくださって、ありがとうございました」
助けた狐の妖はまだ子どもなのか、少し舌足らずな口調で言って頭を下げた。
「ぜひぼくのお家にあそびにきてください。おもてなしします」
「ああっ、おまちください!」
歩き出そうとすると、着物をくわえて引き止められる。
「おい、離せ」
「お父さんとお母さんにも、いのちのおんじんさまをしょうかいしたいのです」
妖の口から着物を外そうと布を引っ張るが、妖は離そうとしない。
これ以上強く引けば、着物が破れそうだ。辰蔵さんから貰った着物を傷付けたくはない。
「……分かった。分かったから、離せ」
妖が俺を連れていったのは、近くの町の新興住宅地だった。
「お父さん、お母さん。みてください。ぼくのおんじんさんです」
妖は嬉しそうに跳ねながら、新築の家の脇にある茂みへ向かう。
茂みには、俺を連れてきた妖によく似た狐の妖が二匹寝そべっていた。
「ねえ、まだねてるの? せっかくおきゃくさんがきてくれたのに」
妖が鼻先で突いても、二匹の妖が起きる気配はない。
俺は茂みの前にしゃがみ込み、二匹の妖の身体に触れてみた。冷たく、硬い感触が手の平に伝わる。
よく見ると、二匹の妖の身体には打撲の跡のようなものがあり、茂みの傍には壊れた巣の残骸のようなものがあった。
「おんじんさん、ごめんなさい。ふたりがおきたら、またお家にきてくれますか?」
妖が申し訳なさそうに俺を見上げる。俺はその頭にそっと手を乗せた。
「……ああ。分かった」
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